次は、礼拝に出席できない方々のための記事です。教会に来れない方々は、この礼拝順序と説教の要旨に従い、礼拝が行われる同じ時間に合わせて、それぞれの場所でも、共に礼拝を捧げますようお願いいたします。

聖霊降臨節第7主日礼拝

前 奏 

招 詞  

讃美歌    83

主の祈り  (93-5 A) 讃美歌のp.148

詩編交読 詩編 詩編491321

     讃美p.53  (単独p.57)

讃美歌    210

聖 書  ホセア書1428

            (旧p.1420

      使徒言行録93643

           (p.231)

  祷 

使徒信条 93-4 A)賛美歌のp.146

讃美歌  430

説 教 「生命の回復」

                          牧師 金南救

祈 祷

讃美歌   461        

献 金     

報 告

頌 栄     29

祝 祷        

後 奏

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使徒言行録93643

ホセア1428

「生命の回復」

 

ヤッファという地域に、タビタという婦人の弟子がいました。今日の聖書箇所によると彼女は人々から尊敬と愛を受けていたみたいです。善い行いと施ししていた人が病気で死んだら、葬儀を進めるのではなく、人をペトロのところに送って急いで来てくれるようにしました。彼がタビタを生き返らせてくれるかもしれないと思ったのでしょう。やもめたちはタビタが作った下着や上着をペトロに見せました。当時の社会でどこにも頼ることのできなかったやもめを彼女は自分も女性なのに、支えていたのです。聖霊に満たされた弟子として、当時のやもめたちの苦しみを放っておくのは出来なかったでしょう。彼女はイエスさまの弟子として、イエスさまに従う者として、キリスト者という名にふさわしい人生を歩んでいたことをよく分かることができますでしょう。イエス様の心をもって生きる人はイエス様の心を自分の心にして、その心に従います。

 

ペトロはそういうタビタを生き返らせました。正確に言うと、神様はペトロを通して彼女を生き返らせてくださいました。ペトロは人々を外に出して、祈って、彼女の遺体に向かって「起きなさい」と言いました。すると彼女は起き上がりました。この場面を見ると、イエス様が会堂長のヤイロの娘を生き返らせた場面と非常に似ているように見えます。(ルカ8:40424956)ペトロもイエス様がされていたことを同じようにしていたのです。イエス様が神様のみ旨に従うように、ペトロも従っていたのです。

 

使徒言行録という聖書は、イエスさまが天に昇られた後、弟子たちの旅路を記録した聖書です。その旅路とはイエス様の旅路に従って歩む旅路です。即ち、ルカの福音書から続く使徒言行録には、イエス様が天の昇られる前にされていたことが弟子たちを通して繰り返されているのです。この聖書を通して私たちは弟子という者が一体どういう者であるかが分かることができるのです。

 

弟子たちが同じくしていたイエスさまのこととは何でしょう。それは今日の聖書箇所の二人の弟子を通して分かるように、病気や障害で苦しんでいる者を助け、救うことから死んでいる者を生き返らせることでした。罪人を正しい道に戻すことでした。何より、こうして神様から離れたものを戻し、つなぐことでした。それによって、「人々を生き返らせること」です。「命を回復させる」ことです。

 

今日の聖書箇所であまり目立たなくて逃してしまう言葉がございます。「このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。」という42節の言葉です。まるで昔話の「それで姫様は幸せになりました。」という決め言葉みたいな印象を受けてしまいますが、実は何より重要な言葉だと思われます。主から離れていた多くの人々が神様に戻りました。主を信じて神様とつながるようになったのです。弟子たちがイエス様に従うことによって人々は真の命を得るようになったということです。神様に戻ることは、人を生き返らせる最も根本的なことだと言えるでしょう。

 

聖書は二つの死を言っています。一つ目は今日の聖書の中のタビタのように体が死ぬこと、二つ目は主と完全に切り離されたことです。(イザヤ38:1819、ルカ20:3538)体は死んだが主につながっている状態と体は生きていても主とつながっていない状態。聖書は前者が命のある状態で、後者が死んでいる状態だと言うのです。

それでは、今日の聖書箇所で死の状態から命が回復され、生き返らせられた人は誰でしょうか。タビタですか。いいえ、弟子たちを通して主を信じるようになった無数の人々です。

 

今日の旧訳の聖書箇所は、北イスラエルの回復が預言されています。北イスラエルの回復は、世の力ある者に頼っていたイスラエルが、悔い改めて主に頼る者になることで訪れることだと記されています。主にのみ命があります。

 

私たちはイエスの弟子たちです。私たちは今もなお私たちは使徒言行録の一ページを書いているのと同じです。ペトロのように、タビタのように、イエスさまの後に従って歩んでいく者たちです。イエス様のように命を回復させることをイエス様と共にする者たちです。私たちをそういう者にするために、主は私たちを訪ねてくださいました。イエス様の目で周りを見るもの、イエス様の心をもって人々を想うもの、イエスさまの愛をもって神様と人々を愛するものにするために、主は私たちを訪ね、私たちの命を回復させてくださったのです。

 

この恵みを受けたわたしたちは、使徒言行録の弟子たちのように、イエスさまのように歩みながら、人々を神さまにつなぎ、彼らの命を回復させるのです。

人々を生き返らせましょう。私たちは至らない情けないものであっても、主が必ずそういうふうにしてくださいます。主が共におられます。